冠のはじまりである「元服式」

冠婚葬祭の「冠」の字は、もともと武家の家に生まれた男性が以後大人として扱われる通過儀礼として行われる元服のことを示すものでした。
しかし現在ではこのような通過儀礼によるお祝いごとはほとんど正式に行われなくなってしまったので、何らかの御祝いを示すものとして定着してしまいました。
元服とは、江戸時代においては武家に生まれた男性が一定の年令になったときに個人的に行われるもので、この日に前髪を剃り落としちょんまげ頭となるための儀式でした。
この前髪を全部剃ってしまうという非常に世界的にも珍しい儀式は、前髪を剃ることで気の逆上を防ぐという儀礼的な意味があったといいますが、本当の意味については諸説紛々のようです。

元服では前髪の剃髪のほか、柳台と呼ばれる五角形の柳木材でできた台の上で、着衣をあらためて烏帽子をかぶせてもらうということが一つの流れとなっていました。
この烏帽子のことを初めてかぶる冠ということで、元服の儀式を「冠」として位置づけていたのです。
元服の現代版が「成人式」ということになりますが、成人式は基本的に二十歳を迎えた年に行うものであるのに対し、元服は特別に年齢が決まっていたわけではありません。
元服が始まったとされる鎌倉幕府やその次の室町幕府時代においても、同じ将軍家で年齢をバラバラに行なっているため、比較的融通のきく、個人の都合に合わせて行う行事であったようです。
なお元服は武家だけでなく天皇にも行われていたことであり、その場合日付は必ず正月一日~五日までにしなくてはいけないと決められていたようです。
武家の場合、特にそうでなくてはいけないということでもなかったようですが、ほとんどがお正月の初詣のときにあわせて行なっていました。
NHKの大河ドラマなど歴史物を見ているとわかりますが、武家の男子は生まれたときにつけられた名前が、成長とともに改名されていきます。
元服まで4、5回も変更することもよくあり、これが元服のときに正式名称をつけられることで以後は定着をするようになります。
元服までは本当の男性ではないので、あくまでも仮称ということだったのでしょう。

元服は江戸時代までずっと続く風習として長く日本の男性にとっての行事として定着してきました。
元服によって冠がつくことで、家系図に加冠の年や冠の親の名前、冠の場所が記されることとなっていました。
元服には両親が立ち会うこととなっており、以後は大人としての責任や義務が課せられるようになったといいます。