町全体で祝福する三重の「ようめんじょうろ」とは

答志島に伝わる「ようめんじょうろ」

三重県の鳥羽港から北東に約2.5kmの沖合いに浮かぶ答志島(とうしじま)は、伊勢湾最大の島として知られています。
「ようめんじょうろ」は、島内の桃取集落で古くから伝わる、花嫁行列の際に提灯を持った男衆が、「ようめんじょうろ、祝いましょう」という伝統のかけ声とともに口にされる言葉です。
しかしながら、ようめんじょうろの言葉の意味をしっかり記憶している島民は1人もいません。

「ようめんじょうろ」という不思議な言葉の語源は諸説ありますが、「お嫁さん」に敬意の情を込めて呼んだ「嫁上臈(よめじょうろう)」から来たという説があります。

答志島の歴史

答志島には、答志、答志和具(わぐ)、桃取の3集落があります。
総面積は約7平方km、島の周囲は約26kmで、島の8割が自然林で占められています。
桃取町の奈佐には、鳥羽市の木である「ヤマトタチバナ」の原木が生えていて、三重県の天然記念物にも指定されています。
周囲には、飛鳥、浮島、牛島、大中山島、大築海島、小築海島等の無人島があります。
交通手段は、市営の定期便船が佐田浜港から答志と答志和具行き、桃取行きの2区間に分かれており、それぞれ1日に8~10便運航されています。

鳥羽市の離島の中で最も大きな島であり、関ヶ原の戦いに敗れて自害した鳥羽城主、九鬼嘉隆(くきよしたか)の首塚、銅像等の史跡があります。
九鬼嘉隆は、織田水軍の将として、歴史上に名をはせた人物です。
海の浮き城と言われた鳥羽城を築き上げ、現在も、日本唯一の海に向かった大手門の海城跡として知られています。

漁業が盛んな桃取では、海苔、ワカメ、牡蠣等が有名で、海に寄り添って生きる桃取集落の人たちは、誰もが海への畏敬の念を欠かさず、自然と共に暮らしています。
桃取集落では、御棚祭、弓引き神事、浜施餓鬼等、港町ならではの祭りや法要、伝統行事が今も執り行われています。

ようめんじょうろの流れ

新婦は嫁ぐ日の朝に、提灯を持った仲人である2人の男性に導かれ、同じ桃取内の新郎の実家へと歩み進めます。
新郎の実家に到着したら、仏壇に手を合わせて仏壇参りをし、ご先祖に結婚の報告をします。
迎え入れる側である新郎家では、赤飯や鯛の活き作り等をつまみにしてお酒を飲み、祝宴を開いて新婦の到着を待つというのが習わしでした。

ようめんじょうろは、長男の結婚式でのみ行われ、次男・三男の結婚の時には行われないのが通常とされています。
この伝統行事も、近年ではほとんど行われなくなり、桃取には2つの商店と、1軒の旅館があるのみとなってしまいました。
現在、地元出身が結婚をする際には、船で海を渡って、鳥羽近辺のホテルや式場で挙式をすることが一般的となっているようです。